Kung fu legend ~功夫伝説

ブルース・リー ジャッキーチェンをはじめ レジェンドたちのカンフー映画、数々の伝説を語るブログです。

    カンフー映画を語るブログ

    2017年08月


    『帰ってきたドラゴン』クンフーアクションの傑作


    からブームとなっていたカンフー映画へと転進。同年『悪客』で香港映画デビュー。以降、悪役俳優として活躍した。 1974年には出演した香港映画『帰ってきたドラゴン』が日本でも公開され「和製ドラゴン」として凱旋帰国したほか、東京12チャンネルのテレビドラマ『闘え!ドラゴン』に主演した。日本映画復帰出演第一作目となった千葉真一主演の『直撃
    18キロバイト (2,079 語) - 2017年4月22日 (土) 04:05



    ブルース・リャン(梁小龍)と和製ドラゴン「倉田保昭」共演のクンフーアクションの傑作ですね。走り回っては、闘う!が果てしなく続き、まさに「死闘」倉田保昭の突きとブルース・リャンの華麗な蹴りが交差する。スピーディなアクション!

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    『少林寺VS忍者』中国武術と日本武道対決


    を務めていたジョン・ウーも、彼のもとで成長を遂げた。 ラウ・カーリョン(劉家良)・・・カンフー映画のスタンダードを築いた。『少林寺三十六房』『少林寺VS忍者』のようなリアルな描写で、力と美を同時に表現した。 楚原・・・質と量、両方を産出する良い実例となる監督である。彼のフィルモグラフィーから古典の
    7キロバイト (820 語) - 2017年7月5日 (水) 06:55



    タイトルが大げさですねー夫婦喧嘩からリューチャーフィと日本武道の対決に発展してしまい何とも言いがたいストーリーです。リューチャーフィは坊主頭でないので違和感がありますね。日本人には、和製ドラゴン「倉田保昭」が忍者となり、忍術を披露してます。蟹をモチーフした忍術は笑えました。

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    (出典 kungfutube.info)

    (出典 images-na.ssl-images-amazon.com)

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    『ショー・コスギ』NINJAブームの立役者


    ショーコスギ(Sho Kosugi、1948年6月17日 - )は、東京都港区出身のアクション映画俳優。 本名は小杉 正一(こすぎ しょういち)。英語・演技・武道を通して国際的な俳優・人格の育成をするショーコスギ塾(Sho Kosugi Institute、略称:SKI)の塾長でもある(2012年閉校)。
    9キロバイト (1,143 語) - 2017年6月1日 (木) 16:01



    「ショー・コスギ」は80年代に全米にNINJAブームを巻き起こした日本人ハリウッドスターですね。大学受験に失敗後、アメリカに渡り、身をすり減らすような苦労を重見事にアメリカンドリームを実現させました。NINJAブームはブルース・リーのクンフーブームとともに、アメリカに「オリエンタルブーム」を広めましたね。俳優のケイン・コスギさんの実父でもあります。近年は日本でも「ショー・コスギ塾」を開催して次世代育成をしております。

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    「ジークンド―」もうひとつの流派「オリジナル派」テッド・ウォン師父


    振藩功夫から昇華した截拳道は、ブルース・リーの名声とともに格闘家・武術家のみならず世界中の人々から注目を浴び、その評価は高まる一方である。 テッドウォン:ブルース・リーの直弟子でありスパーリングパートナー。リーが最終的に自身のファイティングスタイルと定めた截拳道を受け継いでおり、その普及に努めた。
    6キロバイト (677 語) - 2017年8月10日 (木) 13:18



    「ジークンド―」は型にこだわらず良いものは取り入れていくまさにブルース教えであり、クンフーにさまざまな格闘技のエッセンスを取り入れてきました。しかし流派ができてしまいましたね。一つはダン・イノサント師父のコンセプト派でフィリピン武術など幅広く練習しているのに対し、もうひとつはテッド・ウォン師父「オリジナル派」で、ブルースの編み出した拳法をシンプルなスタイルどちらともブルースの教え通りで、どちらも正しく甲乙つけがたいですね。

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    『中村頼永』IUMA日本振藩國術館創設者


    中村 (なかむら よりなが、1963年(昭和38年)12月19日‐)は、三重県出身の日本の武術家である。 ブルース・リー財団日本支部最高顧問、IUMA日本振藩国術館およびUSA修斗代表。 1963年(昭和38年)12月19日、三重県で生まれる。14歳の頃に、映画館で『未知との遭遇』を見る際
    3キロバイト (321 語) - 2016年11月1日 (火) 19:56



    中村頼永師父は日本ではじめてジークンド正統組織「IUMA日本振藩國術館」を設立した。ブルース・リーに憧れて、渡米してジークンドー最高師範ダン・インサントの門下生となり、めきめきと頭角を現したそうですね。また、佐山サトルのシューティングのイントラクターでもあり、かなりの実力者です。

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